南国移住徒然日記

南国移住徒然日記30代にして生まれて初めてパスポートを持って3年間海外ボランティア生活。その後長距離恋愛を経てグアムでステップファミリーと暮らし始める。11歳年上のチャモロ人の夫は6児の父、可愛い子供達と父親に振り回されながらも奮闘する、根っからの日本人の泣き笑い生活日記。

2007年11月30日、アメリカ合衆国の婚約者(K-1)ビザにて、無事、グアムに到着したココさん。本当に良かったですね!

2006年3月21日の「お彼岸ブログ始め」から始まったココさんのブログですが、2006年10月5日の「-婚約者ビザの取得(1)- 最初の一歩」から、婚約者ビザを取得するための経過が綴られています。

2006年11月15日、様々な書類を準備しながら申請を開始。2007年5月16日、申請受理。2007年9月10日、虎ノ門の駐日米国大使館でインタビュー(ナイスな担当者で良かったですね!)、、、

これからのグアムでの徒然日記、今から楽しみにしています。
Happy Holidays!

南国移住徒然日記
cocoguam.seesaa.net

担当部長のマイル貯めため

担当部長のマイル貯めため担当部長のマイル貯めため
mairudesonshita.blog108.fc2.com

滞在した年月日: これから
宿泊(予定)ホテル: Guam Garden Villa

2007年7月、特典航空券でグアムに行きます。
FITでの困ったことなどを、ブログ形式で記事にしていきます。

夏休み2つ目のイベント、そして一年の大イベントであるGUAMへの出発の日

GUAM ☆ 1日目 ☆GUAM ☆ 1日目 ☆
ameblo.jp/sami6950/day-20060725.html

サミ☆セレクト
ameblo.jp/sami6950/

滞在した年月日 : 2006/07/25 〜 2006/07/29
宿泊ホテル : Outrigger Guam Resort

子供と行くには「グアム」最高です!

グアムが一番

グアムが一番グアムが一番
www.akiyama.ne.jp/guam.htm

大ちゃんのホームページ(家族旅行)
www.akiyama.ne.jp

GUAMに行こう

GUAMに行こう1996年、会社の研修旅行でGUAMに行く

家族からは「お父さんだけずるい!」「私たちも行きたい!」の声が、、、

これがGUAM家族旅行計画の始まりでした。

ここに1998年1月のGUAM旅行に至る費用、これから行く人へのアドバイス等を公開します。
これからGUAM旅行をお考えの皆様の参考になればと思い、作りました。

GUAMに行こう
www.asahi-net.or.jp/~rm3h-sod/

ウエスト発 グアムのコケ方

ウエスト発 グアムのコケ方さぁ、はじまるよ

他人の旅行話なんてつまんないと思うかもしれませんが、これは面白いかも?!

是非読んでくださいね。もう貧乏旅行の贅沢できないもんですから(笑)。

グアムのウラ話も沢山載ってます。また、最後まで読んでいただいた方は、本当にありがとうございます。心より感謝します。で、せっかくなので感想なんかを書いて送っていただけますと、我々はこれほどうれしいことはございません。

では、はじまり、はじまりーっ
EASTスタッフ一同

●このサイトは「読み物」です
文章が関西弁なので意味がわかりにくい方もおられるかな(笑)?まぁ、そのへんは雰囲気で、、、

●このサイトのリンク集では、、、
このサイトのリンク集ではグアムの主要ホテルの公式サイト25件、オプショナルツアーサイト、ショッピングセンター等、全てグアム限定の公式サイトを網羅しております。

●たくさんのメールありがとうございます
たくさんのご感想ありがとうございます。これをはげみにがんばっていってます。

これより本文が始まります

●日本脱出(恐怖の飛行機)
●グアム到着。やっと現地に
●2日目 朝
●やっとビーチに
●夕食はどこにしよう?
●3日目「ジャングルリーバークルーズ」に参加
●午後、マイクロネシアモールで集合
●夕食はハードロックカフェ
●4日目 ぶらぶらと
●いざ念願のタロフォフォへ
●レンタカーでホテルまで
●5日目 さよならグアム

ウエスト発 グアムのコケ方
www.totemjapan.com/guam/

グアムサイパン総合案内所

グアムサイパン総合案内所グアムサイパン総合案内所
www1.odn.ne.jp/~cac12050/

グアム - Wikipedia

グアム - Wikipediaグアム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

世界 > オセアニア > ミクロネシア > アメリカ合衆国 > グアム準州
(正式名称: Mini-ketsu Mariana Islands democracy Federal Republic)

グアム (Guam) は、太平洋の島である。1898年の米西戦争からアメリカ合衆国の領土になった。1941年から1944年までは、日本軍が占領統治していた。経済面では、アメリカ軍と観光客が重要な位置をしめている。

グアム準州 The Territory of Guam

自治領の標語 なし
公用語 英語、チャモロ語
主都 ハガニア(Hagatna) 旧称アガナ(Agana)
州知事 フェリックス ペレス カマーチョ
面積 549平方キロメートル(世界第202位)
人口総計(2003年) 163,941人
人口密度 299人/平方キロメートル
通貨 USドル
時間帯 UTC+10 - チャモロ標準時
ccTLD .gu
国際電話番号 1-671

地理
マリアナ諸島最大の島で、その南西端に位置。
海底火山によってつくられた。北部は珊瑚礁に囲まれた石灰質の平坦な台地で、南部は火山の丘陵地帯。
海洋性亜熱帯気候に属しており、年間を通して高温多湿。6〜12月が雨季、1〜5月が乾季。雨季にはスコールが降る。
年間平均気温は約摂氏26度。

歴史
グアム島に人類が住み着いたのはB.C.3000年〜2000年ごろで、チャモロ人がマレーシアやインドネシア、フィリピンから航海カヌーに乗って移住してきたことに始まると考えられている。1521年にマゼランがグアム島を発見し、1565年にスペインが領有を宣言し植民地となり、1668年にサン ビトレスを中心としたイエズス会が布教活動のため訪れるようになって以後、キリスト教文化が定着するようになった。1898年にアメリカとスペインの間で米西戦争が勃発するとアメリカが勝利し、グアム島はアメリカに割譲された。(元々、『マリアナ』の領土であった)1941年に太平洋戦争が勃発し日本が占領したが、1944年にアメリカが奪還。以後、太平洋戦争終結までアメリカ軍の日本本土の爆撃拠点として活用された。1950年にアメリカの自治属領(準州)となり、現在までアメリカ軍の太平洋戦略上、重要な基地のひとつとしてグアム島は活用され、近年は日本人を中心とした観光地、リゾート地として発展を遂げている。

民族構成
チャモロ人47%, フィリピン人25%, 白人10%, 華人, 日本人, 韓人, その他18%(スペイン統治時代にチャモロ人とスペイン人の混血化が進み現在純粋なチャモロ人は存在しない)。

言語
公用語は英語、チャモロ語であるが、日本人観光客による収入が島の大部分の収入を占めていることから日本語も使われており、日本語を理解できる島民がかなり多い。

政治
アメリカ合衆国大統領選挙の参政権は持っていない。
公選によって選ばれた知事が統括。かつてはアメリカ海軍による軍政だった。
グアム議会を形成。議会は立法院のみの一院制。
アメリカ下院に議決権のない議員を1名選出している。

軍事
島の面積の1/3をアメリカ軍用地が占めている。グアム島は、朝鮮半島、台湾、南沙諸島、フィリピン、インドネシア、オーストラリアとあらゆる場所に緊急展開できる戦略上の要地であり、アメリカ直轄地でもあるので、西太平洋の礎石として、世界戦略を見据えた軍事拠点化を進めてきた。2004年には、グアム島周辺を調査した中国人民解放軍海軍の漢級原子力潜水艦が行き帰りに日本の領海侵犯を行った漢級原子力潜水艦領海侵犯事件が発生した。

島の北部には3,000m級滑走路が2本あるアンダーソン空軍基地が存在する。ここには現在常駐する戦闘機部隊は存在していないが、しばしば飛来する。現在、B-52戦略爆撃機やB-2が配備されている。極東有事の際には、アメリカ本土やハワイなどから前線派遣された航空部隊の重要な出撃拠点になる。

島の西部には、通称「ビッグネイビー」と呼ばれるアメリカ海軍のアプラ軍港があり、ロサンゼルス級原子力潜水艦艦隊3隻が駐留しており、将来的にはオハイオ級原子力潜水艦も配備される予定である。この艦隊は、横須賀海軍施設に司令部を置く第7艦隊隷下にある。

在日米軍再編の影響により、沖縄本島に駐屯しているアメリカ海兵隊7,000人がグアムに移駐する予定であり、キャンプ瑞慶覧から司令部も移転する予定である。この部隊の受け入れのための費用を日本政府が59%負担することで日米両政府が合意した。

経済、産業
通貨はアメリカドル(USドル)。ただし現在では日用品や土産等の購入に関し、多くの場合、少額(おおよそ100ドル以内)であれば、日本円でも通用する店舗が増えつつある。

アメリカ軍の基地関連産業とアメリカ政府からの補助金、観光業、農業、漁業が主要な経済基盤で、1980年代前半までアメリカ軍への依存度が高かったが、アメリカ軍基地の縮小に伴い、近年は観光業が産業の大部分を占め、島民の約60%が観光業に従事している。

年間100万人以上の観光客が訪れるが、観光収入の9割以上が日本からの観光客によるもので、日本への依存度が高い。近年は特に和食料理店や、名古屋発祥のラーメンチェーン藤一番など、日本の外食企業の参入も多くみられる傾向にある。

交通
訪島手段として飛行機と船舶があるが、飛行場はグアム国際空港、港はアプラ港がある。アブラ港はミクロネシア最大の港。

島内の交通機関はバスやタクシーのみで鉄道はない。バスは、観光地をまわるトロリーバスなどを運行しているグレイラインバスやショッピングセンターやホテル、旅行会社が運行するザ ショッピングバス、シャトルバスを運行するアイバスなどがある。尚、飛行機で到着する乗客の7割が日本人である。(2006年現在)

芸術、文化
ラッテストーン。家の土台だったとか宗教行事に使われた物ではないかと言われているが未解明。

伝統的な文化としてチャモロ文化がある。踊りではミクロネシアダンスが有名。
グアムの芸術や文化に関する機関として「グアム芸術文化省(Kaha)」がある。
ミクロネシア連邦のチューク州のプルワット環礁との結びつきが強く、プルワット出身の航法師が伝統的な航海カヌーによる航海術を教えている。

教育
大学、短期大学 グアム大学

観光者向の特筆事項

主にグアムに渡航する日本人観光者に向けた特筆すべき事項を以下に摘記する。

電圧とコンセント - 電圧は120V(交流)と日本国内の100Vに比べ少し高めだが日本国内向けに製造された多くの家電製品がそのまま使用できる。但しパーソナルコンピューター等の精密機器を使用する際には予め国外対応の可否を調べる必要がある。コンセントの形状も概ね日本国内の仕様と同一だが、これも部屋によって様々である為、変換器を持参した方が良い。

チップ - グアムにはチップ(サービスに対する御礼)の習慣があるため、サービスを受けた対価として、その料金の数パーセント程度を支払った方が良い。硬貨で支払う場合、最低25セント以上の金額を渡すのがマナーとされる。但しチップ料金がサービス料として予め含められている場合もあるため注意が必要である。ピローチップ(ベッドメイキング)等の場合は、概ね$1程度の支払いで構わない。

服装 - グアムの治安はバングラディッシュ等、治安が悪いとされる国と比較した場合、随分良いとされるが、それでも日本を初めとした先進諸国と比べた場合、その差は大きい。卸したての服や、小奇麗な服、高価に見える品を身につけていると「お金持ち」と見なされ、引ったくりや窃盗等の被害に遭う可能性が極めて高くなる。また年中通して温暖な気候であるため、島内で行動する際には普段着用している夏物のTシャツや半ズボン、ジーンズなどの軽快な服装が望ましい。但し高級レストランやディナーショー会場等では常識として襟付のシャツと長ズボンを着用するか、正装するべきであるとされる。

法律 - 近年、健康増進法が施行されたことを受けて、グアム島内で喫煙できる場所が限られているため喫煙者は注意が必要である。このほか同国の法律で保護者は12 歳以下の子供を閉鎖された空間(車内や部屋等)に残してはならないと定められており、如何なる場合も同伴しなければならないとされる。道路交通においては日本とは逆の右側通行であり、赤信号であっても一部の場所を除き、安全が確認できれば右折してよいとされるなど数多くの違いがある。グアムでも日本の公安委員会が発行する国際運転免許証が使用できるが、グアムで自動車を運転する際は、こうした点に十分留意しておく必要がある。

グアム - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%82%A2%E3%83%A0

Welcome to "Guam Crazy" (グアムクレイジー!!)

グアムクレイジー!グアムクレイジーについて

私はスキューバもゴルフもしませんが、グアムは天国だと思っています。

年1回、家族4人でグアム(海外)に行きだしたのが、子供たちが小学3、4年生になる、湾岸戦争の1991年春休み午前午前の4日間パック/CO/PIC
(なぜ日本人は来ないのかと言われた)

1992年春休み午前午前4日間パック/CO/PIC
(この年の夏に大台風)

1993年夏休み午前午後5日間パック/CO/PIC
(大地震の前日帰国)

1994年春休み午前午後6日間FIT/JAL/ハイアット
PICホテルがとれず、できたてハイアットリージェンシーホテルのリージェンシークラブへ(5日間のところ、マリンスポーツが楽しくて1日延長)

1995年夏休み午前午後6日間FIT/JAL/PIC
(最後のグアムにしようと、思い切って2泊だけ最上階32階のタイスイートに宿泊/3泊はスタンダード1室)
グアムのこの時点のオプショナルツアーはかなり制覇しています、また、PICホテルについてはかなり詳しいと思います。

そして1996年からは、他の海外に行こうと言うことで(本当はみんなグアムに行きたかったが、他にも行った方がよいだろうという事で)、第1回目として、オーランド(ディズニーワールド)に行って来ました。
しかし、グアムの楽しさには遠く及ばず、せっかく行ったのに、私を含めて全員が欲求不満で帰ってきました。

かくして、1997年春休みに再びグアム午前午前7日間パック/NW/PICコネクティングに行って来ました。
(ウェーブとABロードの取材にたまたま居合わせて写真が掲載された)と〜ても充実した楽し〜いグアムでした。

1998年春休み夜午前9日間FIT/NW/PICでGO GUAM。
いつも通りと〜っても楽しかった!

また、1998年夏休みは午前午前4日間FIT/NW/PICで、カフェクレアの開店に急遽駆けつけました(父、息子と男3人で)。これで家族6人全員がグアムに行ったことになります(母は2回)。

1999年春休み夜午前9日間FIT/NW/PIC
今回は私は体調不良のため遊ぶことはできませんでしたが、ゆっくりと楽しめたグアムでした。

1999年6月FIT/NW/Fujitaには、一人でリハビリのためのウォーキングとゆっくりするために2週間ほど行って来ました。家族もいないし、泳いだり遊んだりはできないので、目的通り歩いたり、ゆっくりはできたのですが、時間を持て余していました。やっぱり健康第一ですね!
cafe@creaに毎日行くのが唯一の日課でした。

1999年12月にも3泊ですが行きました(PIC宿泊)。

そして次回2000年春休みは、もうもちろん予約済み!
ホテルはもちろんPICです! それまでに元気にならないと!
(残念ながら、この回は中止になりました)

この後も行っています。
また、行ける時はいつでも行きたいとは思っている今日この頃です。

私たち家族にとってグアムは、「かって知ったる楽しいグアム」なのです。

2回目まではオプショナルツアーをびっしり入れてくたくたになるまで遊んでいましたが、最近は、私はほとんどプールサイドでゆっくりとビールを飲みながらバカンスしています。

今回も、男組と女組に分かれて、私と息子はプールや海で遊び、妻と娘は買い物に出かけ、みんなでマリンスポーツやオプショナルを楽しんでいます。

毎年おみやげを持っていく知り合いもいるし、やっぱりグアム!

たぶん、私たち家族が他の海外に今後行ったとしても、グアムに勝る楽しみは味わえないと思っています。

よく知り合いに、グアムは何日も行っても見るところがない、1回行けば十分とよく言われますが、違うんだなこれが。

たとえゴルフやスキューバをしなくても行けば行くほど楽しい、それが日本から一番近いアメリカ=グアム島です。

GVB(Guam Visitor's Bible)の主催者のSOYAMAさんによると、ハワイの強力なリピーターをハワイクレイジーというのだそうですが、グアムにはそういう言葉は無いそうです。

ならば私は名乗りたい

私たち家族はグアムクレイジーです!

Welcome to "Guam Crazy" (グアムクレイジー!!)
www.guamcrazy.com